【森マサミチ講演依頼】人生のどん底から這い上がってきたサンドアーティストの話

森マサミチ

森マサミチに講演依頼したい方への記事です。

人生のどん底から這い上がってきたサンドアーティストの話が中心になります。

僕には人生のどん底を味わった時期がありました。

事業がうまくいかなくなり、借金が膨れ、結果的に会社をたたむことになりました。

人が離れ、当時の家族も離れていき、僕に残されたのは数百万円の借金だけ。

事業の失敗。それは自らの甘さや失敗から起こったことなのですが、当時はたくさんの方々に迷惑をかけてしまいました。

あれから約13年。僕は現在サンドアーティストとして全国・東ヨーロッパで活動をしています。

この13年間には、いろんなことがありました。

命を絶つことを何回も考えました。

しかし僕にはその勇気すらありませんでした。

「命を絶つくらいなら、もう一度精一杯生きてみよう!」

そう思えるようになったのは、ある恩人の優しい励ましや言葉でした。

再就職、遠距離恋愛、別れ、出会い、結婚、サンドアートデビューなどなど、転落からどうにか這い上がり、現在はサンドアーティストとして元気に生きています。

いろんな経験をしてきたから、お話できることがあります。

いろんな経験をしてきたから、現在悩みを抱えている方の心の負担を軽くできるかもしれません。

生きる希望を失った僕が、サンドアートと出会うまで

森マサミチ

今から13年前の2005年、29歳の頃。

ようやく年始の喧騒も終わり、街が通常の落ち着きを取り戻す頃、僕は相変わらず明日を生きる気力もなく、ただただ毎日を魂が抜けたようにすごすだけの、無気力な日々を送っていた。

死にたいと思った。死んだらどれほど楽になれるだろうと何度も思った。当時暮らしていた自宅近くには切り立った断崖があり、過去にそこから飛び降りた人が何人もいることも知っていた。

ただ僕には死ぬ勇気すらなかった。冬の冷たい北風がビュービューと吹き付ける断崖に立ち下を見下ろすと、とたんに足がすくみその場に尻もちをついた。

廃業と借金と家族との別れ

当時の僕は働くだけの毎日だった。

朝4時から働き、夜は夜勤のバイト。睡眠時間は3時間程度。ほぼ毎日ダブルワークで働き、お金を稼ぐだけの日々。ただそれも諸々の支払いを済ませると月末にはほとんどなくなり、手元に残るのは数千円程度だった。

だから少しでもお金がよいバイト先を見つけては、自分が抱えてしまった借金を返済するために馬車馬のように働いていた。忙しさが寂しさと孤独感を紛らわせてくれた。

「お前、顔色悪いけど大丈夫か?」

バイト先の先輩からそう声をかけられた。自分では気が付かなかったが、働けば働くほど僕の心と身体は目に見えて消耗していたようだ。

2004年頃、僕は当時つるんでいた仲間とともに会社を立ち上げた。しかしわずか1年も継続することなく、仲間とともに立ち上げた会社は資金がなくなり廃業した。

最初はきちんと給料も出せていたのだが、放漫経営が祟って業績悪化となり、給料も出なくなり、生活するために借金までしていた。また事業を継続させるためにも借金をしていた。

親、銀行、クレジット会社、消費者金融からお金を借りていた。闇金だけは手を出さなかった。手を出して夜逃げした人の現状を知っていたから。

入ってくるお金が少ないのに出ていくお金は多い。誰がみても生活は困憊していた。毎日かかってくる督促の電話。無機質な留守番電話のメッセージ。電気が止められそうになると、手を合わせて「来月にまとめて払いますから」と嘆願をした。そんな毎日だった。

明日を生きるためのお金もなく途方に暮れていたある日、自宅に帰ると家族(当時の妻と子)の姿はなく、掛布団のないコタツの上に「もう耐えられないので実家に帰ります」との書き置きだけが残されていた。いつだったか、ドラマでみた光景が実際に自分の前に広がっていた。

当時の妻と子とも別れ、最低限の家財道具が残った生活。会社の運営のために借りた借金だけが僕のもとに残った。身から出た錆とはこのことだろう。自分の経営力が足りなくて廃業になり、家族までも失ってしまった。

途方に暮れていたのは僕だけではなく、家族も途方に暮れていたのだ。自分が悪いのに廃業の原因を他人に責任転換し、大切な家族までも悲しませていた。そんなことにも気が付かない僕は、本当にダメな男だ。

死にたいと思った。死んだらどれほど楽になれるだろうと何度も思った。当時暮らしていた自宅近くには切り立った断崖があり、過去にそこから飛び降りた人が何人もいることも知っていた。

ただ僕には死ぬ勇気すらなかった。冬の冷たい北風がビュービューと吹き付ける断崖に立ち下を見下ろすと、とたんに足がすくみその場に尻もちをついた。

その場から逃げかえるように、がらんどうとした自宅に戻り、ふと絨毯に残されていた、子ども用のタンスが置かれていた場所に目がいった。そこには小さなタンスの跡が残っていた。

僕は何をやっているのだろう。どうしたらよいのだろう。これからどうやって生きていけばよいのだろう。その言葉だけがグルグルと頭のなかを駆け回っていく。

この家には自分以外、誰もいない。だったらもう、素直になってもいいじゃないか。

僕はこれまでどんなにツラいことがあっても泣かなかった。泣いている場合じゃないと思っていたから。ただみじめで、明日を生きるためのお金にも事欠くような日常。寂しさ。孤独感。そういったものが一気にこみあげてきたとたん、僕は声を上げて泣いていた。誰もいないのに、指をさされて笑われることもないのに、見られていないのに、わざと顔を隠すように膝を抱えながら部屋の隅っこで泣いた。

サンドアートとの出会い

相変わらず心と身体が分断されたような気持ちですごしていたある日、なけなしのお金で買ったパンをかじりながらテレビをみていたときのこと、目の前に見たことのない光景が目に映った。

「砂が動いて絵になっていく!」

2005年02月頃だったと思う。フェレンク・カーコというハンガリーの芸術家が制作した砂のアニメーション「古いお城のものがたり」を初めてみたとき、自分の目が、心が、彼のサンドアートに奪われていることに気が付いた。

それまで生きる希望もなく、魂をなくしたようにフラフラと彷徨っていた自分の心に、一筋の光が射し込めた。

「これをやってみたい!」

何を使ってどんな手法でなどなど、今でこそわかるが、当時はやり方も機材も砂も何かわからない状態。それでも真似をしたかった。この美しい砂の芸術を自分でも表現してみたかった。

翌日、晴れた冬空の下、地元の海岸へ行き乾いた砂をバケツいっぱいに集めていた。せっせと小さなスコップで砂を集めていたとき、散歩をしていた年配の方に「この砂を何に使うのですか?」と訊かれた。僕は「アートやるんです!」と答えた。年配の方は「そうですか。頑張ってくださいね」と言って、また歩き出した。僕はニヤニヤしながらまた砂を集め始めた。年配の方の、その言葉が素直に嬉しかった。

自宅に戻ってきた僕は、コタツの上のゴミを片付け、そこに砂を敷いてみた。白いテーブルだったので、黒い砂の色がよく映えた。途中から録画していた昨日の映像を再生して、見よう見まねで指を動かしてみた。

全然ダメだった。どうすれば同じ絵が描けるのか、まったくチンプンカンプンだ。それでも何度も何度もゆっくりと指を動かしていく。結果、まったく何も絵を描くことできなかったが、指先に残る砂の感触だけは夜になっても残っていた。

それからしばらく、借金を返すためにただひたすら働き続けた。長い間サンドアートからは離れていたが、2013年からまた独学でサンドアートを始めた。2016年からプロのサンドアーティストとしてデビューして現在に至る。

借金についていうと、当時の僕のようすを見かねたお世話になった方が債務整理をすすめてくれたこともあり、司法書士の先生にお願いをすることになった。その経緯もあり、借金も2年で完済した。

12年後の2017年8月、それまでサラリーマンとサンドアート活動を並行してきたが、サンドアートのほうがとても忙しくなり会社を辞めた。本当はサラリーマンと並行したかった。サラリーマン時代の仕事が面白く好きだったから。ただサンドアートのお仕事で地方へ行くことが多くなり、これ以上は職場に迷惑をかけてしまうことになるから辞めたのだ。

そして2018年現在、年間全国での公演数(ステージ)も30回を超えるようになり、大手企業の広告をサンドアートで制作したり、6月から海外(ヨーロッパ)デビューすることになった。一緒に共演する仲間とも出会た。志を同じくする同士にも出会えた。

諦めたら、そこで終わり。だけど諦めなければ挑戦は続く。負けではない。どうしようもなく迷惑をかけてきた僕でも、今では少しだけ他人様のお役に立つことができている。喜んでもらえている。

これからどんな人と出会うことができるのだろうか?

僕の砂の旅はまだまだ続く。

森 マサミチ

講演依頼をご検討されている方

人それぞれに悩みはあるものです。

そして悩みを抱え続けていたら、いつかは心がパンクしてしまいます。

借金地獄、仲間との別れ、家族との別れなど、心が折れそうなときが何回もありましたが、「諦めない力」が倒れそうな僕をいつも支えてくれました。

どん底から這い上がってきた経験からお話できることがあります。

講演をご希望される方はこちらからどうぞ。

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